正解を求める風潮
どうも!!
レガーレ代表の薄井です。
ほぼ勢いで始めました「社長マガジン」ですが、奇跡的に第二弾をお届けできる運びとなりました(笑)
嬉しい事に「初回マガジン読んだよ~」とのお声も頂き、大変励みとなっております。
さて、これ書いているのは5月中頃。
25℃を超える日も増え、迫りくる夏の猛暑に、今から少し怯えております。
とはいえ今年は、“空調服”という
最終兵器を導入予定。
(文明の利器バンザイ)
その実力に期待しながら、夏に備えたいと思います。
さて――
レガーレもおかげさまで開業支援をスタートして以来、2026年現在、50名を超える卒業生を送り出すことができました。
本当にありがたい限りです。
これまで多くのご相談を頂く中で、特によく聞かれる質問があります。
・キッチンカー開業のメリット・デメリット
・成功談と失敗談
・実際、開業後はうまくいっているのか
つまり――
「それって結局、正解なの?不正解なの?」
ということです。
世の中には、
・白か黒か
・成功か失敗か
・プラスかマイナスか
そんな“二択”で物事を判断しようとする空気が、どこか強くあるように感じます。
今回は、そんな「正解を求める風潮」
について、僕なりの考えを書いてみようと思います。
正しいかどうかは、すぐには分からない
人間は大きな挑戦を前にすると、
「この選択は正しいのか?」
「失敗しないのか?」
を考えます。
当然です。
僕だって考えます。
でも最近思うのは、その答えは“かなり先”にならないと分からないということです。
分かりやすい例が学歴かもしれません。
(ちなみに僕は、絵に描いたように全く勉強ができませんでした(笑))
その時は「この道が正解だ!」と思って必死に受験勉強。
でも数年後、
「あれ??結局○○大学を出たけど、今の自分には全然役に立ってないな……」
そう振り返る人も少なくないのではないでしょうか?
僕自身も昔は、
「選択が結果を決める」
そう思っていました。
ですが事業を始めてから、その考えは少し変わりました。
選択そのものより大切なのは、
“選んだ後をどう生きるのか”
なのではないかと――。
事業を行っていると、コントロール不可能な出来事が沢山起こります。
誰が見ても”A”の選択が最善と思って選択をしても、理不尽に裏切られることもしばしば。
そこで、大事なのが――
選択をする。
起きたことを受け入れる。
その上で、自分が進みたい方向へ力ずくで引っ張ていく。
(ここは、本当フィジカルです)
↑※イメージ図
結局、人生を形作るのは「選択」ではなく、その後の向き合い方なのだと思います。
この感覚に気づいてから、
何となく人生が良い方向へ動き始めた気がしています。
失敗は「点」で見ると失敗になる
僕自身、事業を始めてから色々な経験をしてきました。
特に出だしは強烈です(笑)
・2020年 開業直後のパンデミック
・キッチンカーの滅失
・出店場所の消滅
一般的に見れば、
「大失敗」
と言われても仕方のない出来事ばかり。
でも、物事には必ず“その後”があります。
例えば――
■ パンデミックでのスタート
最悪とも言える環境だったからこそ、考える力が身につきました。
■ キッチンカーの滅失
自ら車両制作を経験したことで、後にキッチンカー製作部門の立ち上げへと繋がりました。
■ 出店場所の消滅
「与えられる」のを待つのではなく、自ら開拓する力が養われました。
つまり――
“失敗”のあとにこそ、物語があります。
一つの出来事だけを切り取れば失敗に見えても、人生は点では終わりません。
点と点が繋がり、やがて線になっていく。
話は少し変わりますが、皆さんもご存じの
「iPhone」「Mac」を生み出した
アップル創業者、Steve Jobs は自身の判断で名門リード大学を中退しています。
当然ながら、当時は周囲から猛反対を受けました。
一般的な価値観で見れば、その選択は
「失敗」と判断されても不思議ではありません。
しかし中退後、彼は偶然出会った
カリグラフィ(文字デザイン)の世界に強く惹かれました。
その経験が、後にMacintosh(Mac)
の美しいフォント設計へと繋がっていきます。
もし彼が大学を卒業していたら、その世界との出会いはなかったかもしれない。
彼は後にこう語っています。
「点と点は必ずつながる。しかし、未来を見据えて点と点を結びつけることはできない。過去を振り返って、初めて点を結べるのだから。」
この言葉は、人生の本質を突いているように感じます。
昔から、
「ピンチの裏にはチャンスがある」
と言われます。
僕は、あれを単なる精神論だとは思っていません――。
誰もが諦めたその先で、
それでも答えを探し続けた人だけが、
後になってその“点”の意味を知る。
失敗だと思っていた出来事が、
実は自分だけの価値や武器を生み出していた――。
人生とは、案外そういうものなのかもしれません。
なぜ人は「正解」を求めたがるのか
僕なりに考えた結論があります。
それは、多くの人が
「誰かに敷かれたレール」の上で生きてきたからです。
・受験勉強。
・高校、大学への進学。
・就職活動。
そこには常に、
「正しい選択」
「間違った選択」
が用意されています。
その環境で長く生きていると、
物事を“正誤”で判断する感覚が当たり前になっていく。
でも、自分で人生のレールを敷く場合は違います。
自分がルールになります。
起きた出来事を赤信号と捉えるのか。
青信号と捉えるのか。
その解釈すら、自分次第。
どこをゴールにするのかも自由です。
つまり人生の結論は、
「自分で決めるもの」となります。
責任という言葉について
開業前、多くの人が周囲からこう言われます。
「失敗したらどうするの?」
「責任取れるの?」
「やめておいた方がいいんじゃない?」
もちろん、心配しての言葉もあると思います。
でも僕は、挑戦の是非を最初から断定してしまうことには、少し違和感があります。
なぜなら結果は、これから本人が作っていくものだからです。
まだ何も始まっていない段階で見せられる根拠なんて、正直限界があります。
そもそもチャレンジとは、
「どうなるか分からないこと」
に挑むことだと思っています。
最初から結果が分かっているなら、
それは挑戦というより再現作業に近い。
僕自身も昔は、この違いをあまり理解できていませんでした。
だからこそ最近よく考えるのが、
「責任」
という言葉です。
世間では、
「責任=失敗後の穴埋め」
そんな意味で使われることが多いように感じます。
勿論、それはするべき事なのですが、それだけでは不十分な気がします。
僕の感覚での責任を話しますと――
「どんな結果になろうと、全てを受け入れ、最後まで歩き切ること」
ではないでしょうか?
だからこそ「本来責任とは人から与えられるものではなく、自ら自分に課すものです」
自分で選び、
自分で背負う。
そして結果から逃げず、前へ進む。
それが責任なのだと思っています。
責任を全うする事が出来るのであれば、
子供、大人関係なく、他人が挑戦に口出しする権利はないと思います。
もちろんこれは、僕自身の考えですし、もしかすると皆さんが考えている”責任”との本質とは少しずれているかもしれません。
偉そうに語っていますが、ご多分に漏れず若い頃の僕は、逃げてばかりでしたし、今も日々葛藤しています(笑)
だからこそ余計に、この言葉について考えるのかもしれません。
挑戦する人へ伝えたい事
日本は「失われた30年」と言われています。
理由は一つではありません。
ただ、挑戦することよりも、
“失敗しないこと”
を優先し続けた空気は、少なからず影響していると僕は感じています。
だからこそ、これから挑戦する人に伝えたいことがあります。
もし周囲から、
「だから言ったでしょ」
「やめておけばよかったのに」
そんな言葉を言われて直ぐに心が折れてしまう様なら
正直、夢を追うのはかなり厳しいと思います
挑戦には、必ず批判もついてきます。
僕自身、何度も言われてきました。
そして今でも言われることがあります。
でも、それでも進み続ける。
それが挑戦です!
誰にも理解されない時期を越えて、それでも前に進める人だけが、
最後に“自分だけの景色”を見ることができるのだと思います。
僕は、
「絶対に成功します」
なんて無責任なことは言いません。
だけど、
“挑戦したい”
“自分の人生を変えたい”
そう本気で思っている人に対しては、全力で向き合いたいと思っています。
正解を教えるのではなく、
自分なりの答えを作れる人を増やしたい。
それが僕の想いです。
-あとがき-
……と、相変わらず今回も熱く書いてしまいました(笑)
次回こそは、もう少し肩の力を抜いた内容を書きたいと思います。
(と言いつつ、また同じ温度感になりそうな予感しかしません(笑))
皆さんは、
「正解」
「責任」
「挑戦」
という言葉を、どんな風に捉えていますか?
いきなりですが、最近――。
「犬アレルギー」を発症し、重度のアレルギー反応から喘息を患うようになりました。
(ちなみにパグを飼っております)
そう考えると――
犬を飼ったという選択は、
もしかすると“正解”ではなかったのかもしれません。
……が。
飼う時に誓った、
「最後まで一緒に歩み切る」
というパグ様との約束があります。
(人語ですが、多分伝わっていると信じています)
この結末については、いつかまたブログでお話しできたらと思っております。
(愛犬の話題で無理やり着地を試みました.......)
それでは、また次回お会いしましょう!!
サラダバー!!(さらばだー)
↑恒例の締め挨拶にしていく所存です(笑)